


生きながらに南海の観音浄土(補陀洛浄土)を目指して行われた一種の捨身行である。平安時代から江戸時代まで20数回に渡り、那智の海岸から当寺の住僧達が渡海した。
この渡海船は、那智参詣曼荼羅をもとに平成五年、熊野新聞社社主 寺本静生 氏によって復元されたもので、入母屋造りの帆船で四方に発心門、修行門、菩提門、涅槃門の殯(もがり)の鳥居がある。




気が付くと紀伊勝浦駅行き路線バスの時間が迫り、急いで那智駅に戻ります。
那智駅舎南脇の線路をくぐる地下道が、那智の海岸に通じています。

熊野三山詣ででは飽き足らずに、その先の海の彼方にある観音浄土に向かった人たち。
齢六十路を目の前にして、私はとてもまだまだ修行が足りません。

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