2019年06月29日

三代80年の後始末

現在の所在は栃木県大田原市須賀川巻ヶ沢。
個人的には「黒羽町須賀川」と呼んだ方がしっくりします。
巻ヶ沢橋
この巻ヶ沢橋(まきがさわばし)を渡った奥の山中に、祖父の代から譲り受けた山林があります。スギとヒノキが植えられてあり、その樹齢はどちらも約80年を越えています。

亡父が健在でしたので20年前にはならないと思います。当時の黒羽町森林組合(現在の大田原市森林組合)に依頼して間伐をしました。その間伐したスギとヒノキは地元須賀川の製材所に出材して、父はその当時約40万円弱の金額を受領したと記憶しています。送られたその明細書を見ながら「これでもうしばらくはだいじょうぶだろう」とつぶやいたのを覚えています。
巻ヶ沢橋02
そして令和になって最初の六月。大田原市森林組合の見越広美さんに案内されて、久し振りにその所有林に足を踏み入れました。巻ヶ沢橋を渡ってからしばらくすると雑木や雑草が身長を超えるほど生い茂り、四輪駆動の車両でしか上ることができない急坂の林道です。現場に着くと20年前と同じように冷たく澄んだ沢の水が流れ、吹く風に木々が擦れる音しか聞こえない静寂に包まれます。

私には後継者がいませんので、いずれこの山林を手放す時が訪れます。
先代から無償で譲り受け継いだ山林ではありますが、目の前に立つ樹齢80年生のスギとヒノキを見上げ、その木々を育ててきた祖父と亡父の想い入れを知る者として、現在の国産木材相場はあまりにも切なく、情けなく、諦めしか感じません。さらに現在の林野行政の政策として、この立木を燃料として扱うことには憤りすら覚えます。祖父も亡父もいつかは用材として世に出す時を夢に見て、このような結末を期待して今日ここまでこの山林を管理し育て続けたわけではありません。
ヒノキ
木造(とは名ばかりですが)住宅建築に使われるほとんどの木質部材が集成材と合板に依存され、それが最早当たり前のようになってしまった現在。住宅建築の現場に携わる一員として、この先に国産木材相場が回復上昇することは、実に残念ではありますが到底期待できそうにありません。
これも時代の流れ…と片づけるのは、三代80年にも及ぶ時間はあまりにも長すぎます。

六十路を目前にした一介の木材商として、当初本来の目的である建築用材として一本でも二本でも、その価値を理解していただける心ある建て主さんの元に使われることを切望しています。

このサイトをご覧の茨城県南地域で、木造建築で新築や増改築を検討されている皆様。
ご希望であればこの巻ヶ沢の山林も、その立木伐倒の作業現場にもご案内します。
そして近い将来に燃料として扱われその姿を消されるくらいであれば、可能な限り建て主さんのご要望に添えるように建築用材として姿を変えるべく些細なご相談にも応じます。

自宅近隣の住宅展示場を車で回るだけが家造りの手段ではありません。
最初から「そんなことは絶対に無理」と決めつけないで、ぜひ一度お問い合わせください。

読みにくい雑文を、最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。

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posted by 長風呂呑平 at 11:26| Comment(2) | 樹と木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こういう山林も所有されていたのですね。
今は昔…、時代が変わり過ぎました。
国内にある森林も世界の流れに
左右されていることがよくわかります。
この流れを少しでも変えるには
想像を絶する努力が必要だと思います。
しかし、一人ひとりがちょっとだけ気付いてくれれば
可能であることも事実です。まずは消費者運動からですね。
Posted by 久保敏雄 at 2019年07月01日 10:18
まったくもってそのとおり、
それ以外にはなにもありません。
Posted by 長風呂呑平 at 2019年07月01日 17:22
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